前回はどのような高校生活であったかについて書いていきました。
端的に言いますと、私はクリスチャンでありカトリックの神父になるべく神学校に入り生活する中で挫折していったという内容でした。
今回は、そんな生活の中でなぜパン職人を目指していったかについてお話していきます。
その前に、私の幼少期について少し書いていきます。
私の父は歯科医師で歯科医院を開業していました。 母は、専業主婦でした。
比較的裕福な生活だったのでしょう。 しかし、いま思うとそれ程恵まれてもいませんでした。
父は早くに、アルコール依存症を患い家族から孤立していきます。
家族と楽しく過ごした記憶は小学生の低学年くらいまでの様に思います。
その後、父は脳腫瘍ができ発見の遅れから他界しました。
そんな、家族ではありましたが父は、私にパソコンを買い与えてくれました。
これが、父が私にくれた最大のプレゼントだったと思います。
小学3年生だったと思います。
買い与えたと言っても父の所有物でした。 しかし私が自由に使うことを許されていました。
その中で子供には非常に難解でしたがパソコンの言語であるBASICという言語を独学で勉強しました。
このことが、現在に大変役立っています。 最高のプレゼントでした。
母は、比較的料理が上手でした。子供のころはよくNHKの今日の料理を母と一緒に見ていた記憶があります。
土曜日になると度々、クッキーやプリンを作っていました。 この経験が後に私をパン職人の道に推し進めたのだろうと思っています。
時は戻りまして、高校3年生のとき既に神父の道を断念していました。
時は迫ります。
進路を決めねばなりません。
どうしよう?
2つのポイントがあります。
その当時、バブルが弾けんばかりの経済状態、お祭り騒ぎです。
しかし、賢い人は気付いていたのでしょう。
このまま好景気は続かないと。
テレビでは青年実業家と呼ばれる成功者が日々クローズアップされていました。
私も実業家になりたいと考えました。
ではどうするか?
2目のポイントです。
高校の時、読んだ本に”ライ麦畑でつかまえて”という本がありました。
クレイジーな主人公が学校をクビになるストーリーです。
今で言う、中二病のような主人公でした。
この本の”ライ麦”がずっと心に引っかかっていました。
ライ麦って何?
それ程強く思っていた訳では有りませんが気になります。
ライ麦パン?聞いたことはありますが、ピンと来ない。
パン屋になればきっと解るだろうと思いました。
もう一冊は、アルジャーノンに花束をの中で主人公はパン屋に勤めていました。
気になります。パン屋に興味が湧いて来ました。
そこで、私の弱い頭はこう導き出しました。
パン職人になって、事業を成功させ実業家になる!
決めたら、テコでも動きません。
担任の先生に告げました。
パン屋になります!
はぁ?
先生の反応です。当然です。大学は?行かないのか?そう思っていたでしょう。
進学コースでしたから。
そして、高校を卒業し晴れて地元に帰りお目当てのパン店に就職しました。
これが私がパン職人になったきっかけです。
本当に、薄っぺらい人間だったと反省していますが、パン職人になるという選択は中々正解だったと考えています。
そして、パン職人の道は私を大きく成長させてくれたと確信しています。